第3章 写真集(シャーロットタウン)By のりちゃん

カナダを訪れたときに撮った写真にコメントをちょこっといれます。
(ちょこっとでは、なかったりして)



トロントの空港 乗換地のトロント空港


シャーロットタウン空港

夜のシャーロットタウン空港の入口

フランス語・日本語・英語と3カ国で「ようこそ」と書いてあったけど日本語が真ん中にありました。出発前に他の人のHPで見ていたので驚きはしなかったけどやっぱり日本人がたくさん来るのだと感心してしまいました。




エルムウッドヘリテージイン

日本から予約していったヘリテージ系
B&BのElmwood







  
10月に家に届いた日本・プリンスエドワード島協会の会報にPEI州ではどこにもなかった5ツ星クラスに認定され又日本でも人気が高くなかなか予約がとりにくくなったと常連さんより言われたとの事が書いてありました。夜の10時過ぎに着くのに宿がないと怖いので出発前にPEI発行のビジターズガイド97年版を取り寄せ予約金を送金しなくてもすむようにと思い支払いにカードを使えるところということでを選んだのですがとても有名なB&Bだとは、知らなかったのです。確かにとてもグレードの高い部屋とおもてなしを受け1泊のみそれも夜遅くに到着したので大変残念でした。こんな事なら連泊したかったと翌日宿を出るときに思ったほどです。おまけに朝食のメニューを事前に教えてくださりそれがJF2SDRの嫌いなチーズを使った物で食べられない事を告げたら他のパンを用意してくださいました。一緒に付いてきたジャムは、自家製とのことでとてもおいしかったとSDRは、コメントしておりました。あと後日談ですが、メーリングリスト友達の人がこのB&Bに新婚旅行で泊まったとか。彼女の部屋は、キチネット付きでさすがに私たちより一段とすばらいお部屋のようだったみたいです。(カナディアンロッキーのホテルよりこっちの方がよかったとも言ってました。)




朝の小学校

Elmwoodの近くにあった小学校


前日に告げられていた朝御飯の時間を間違えてしまい時間が余ってしまったので朝の散歩をしてみつけました。




 
そのときのエピソードですが、ここには、写っていないのですがこの横にとても大きなゴミのコンテナが置いてありちょうどそこへゴミ収集車がやってきました。どうやってゴミを回収するのか見ていたらなんとコンテナの両方をガッシとつかみそのまま持ち上げて上下を逆さまにしてゴミを車に入れていて、日本のゴミ収集車のように人間が外に出て作業をするということがまったくなかったのです。そのことを後日シャローットタウンのウォーキングツアーに参加したときのアボンリーツアーズのカイドさんに聞いたら(日本人の方です)見たことがないと言っていました。もっとも朝の早くからそんなの見ているわけないですものね。町のあちこちにあった小さいコンテナとは、収集の仕方が違うようでした。
 




プロビンス・ハウス議長の椅子


プロビンス・ハウス

カナダ連邦成立に向けての会議が行われたところです。プリンスエドワード島に行くまで私は、知らなかった右側の赤いイスは、議長さんが座る椅子とか。ずいぶんりっぱだね。



プロビンス前の寸劇

寸 劇

プロビンス・ハウスの中庭でカナダ連邦成立にまつわる寸劇を1日に何回がやっておりました。











アイスクリーム店COW'S

アイスクリームのお店 「COWS」


アイスクリームがおいしいことで有名なCOWSです。名前のとおり牛関連グッズがとても多くたくさんの人がここのTシャツを買って着ていました。わたしもJF2SDRも自分のおみやげに購入しました。




ベイサイドのお店では、普通のキャッシャーを使っていましたがダウンタウンのお店の方は、なんとレジのキャッシャーにも牛模様で有名なGATEWAY2000のパソコンを使っていました。SDRのマシンの内の1台がGATEWAY2000のパソコンなので冗談でもしかしてCowsの店でも使っていたりしてと話してたら本当にあったのでびっくり。ダウンタウンのお店は、赤毛のアンのミュージカルを上演するコンフェデレーションセンターのすぐ近くにあるのでミュージカル終了後、私達の後ろを歩いて人が、「Cow storeへ行くのよ」と英語で言っていたのですがあのおばさま (もしかしておばあちゃまかな)の”Cow store”の一言がとても耳に残りあとで2人大受けしておりました。





コンフェデレーションセンター
コンフェデレーションセンター
( Confederation Center of the Arts)

ここで毎年夏のシーズンのみ赤毛のアンのミュージカルを上演しています。すでに30年ものあいだ毎年上演されているようです。外国の年輩の人は、(私たちの方が外国人ですが)何台かのバスに乗って団体でやって来ておりました。








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